デザイナーズ家具&インテリア
ル・コルビジェ
LeCorbusier
1887年スイスに生まれる。
工芸学校にて彫版技術を学んだ後に建築事務所に勤める。ドイツを経てパリへ、画家としても活躍。
1928年からは、パートナーのシャルロット・ペリアン、従弟のピエール・ジャンヌレと共に後世に残る歴史的な名作家具をデザインする。
コルビジェは、陳腐化してしまった近代建築に突破口を切り開き、20世紀の建築家にもっとも大きな影響を与えた人物の一人である。1923年には「建築をめざして」を出版し、”家は住むための機械である”と提唱する。
住宅を中心に数多くの傑作を残し、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デルローエ、アルヴァ・アアルトとともに、20世紀の4大巨匠といわれる。
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ル・コルビジェの詳細
フランスの建築家。1887年10月6日、スイスのラ・ショー・ド・フォンに生まれる。本名はシャルル・エドュアール・ジャヌレ。
故郷の美術学校で学んだのち、1907年、母校の教師の別荘の建築科で旅行に出、ウィーンでホフマンを訪ねたのにはじまり、1908年パリに鉄筋コンクリート構法の先駆者ペレを、10年ベルリンにベーレンスを訪ねて教えを請い、また広くヨーロッパ各地を旅する。
12年母校に新設された家具科の講師となり、14年にはアトリエを開設するが、17年に永住の決意でパリに赴き、画家としてオザンファンとともに、「キュビスム以後」宣言を発表、20年にはデルメも加えて、雑誌「精神論」を創刊し、「純粋主義」など、芸術の論文を多数発表する。
一方22年、従兄弟のピエール・ジャンヌレと建築事務所を開設し、同年サロン・ドートンヌに住宅と都市計画案を出品。
23年には最初の建築書「建築へ」を出版。25年パリ万国装飾美術博覧会に「エスプリ・ヌーボー館」を建て、同時に「ボアザン計画」を展示、27年にはジュネーブにはジュネーブの「国際連盟会館」協議設計に1等を得るなど、アカデミズムの側から、さまざまな妨害を受けるも、盛んな活動を展開し、世界中から、若者がコルビジェのアトリエに集まりはじめる。
28年近代近代国際建築会議(CIAM)の設立に参加、以後56年の解散まで、中心人物であり続けた。中でも33年の第4回会議でまとめた「アテネ憲章」は、機能主義都市計画の原理として、ブラジルの建築家たちによる新首都ブラジリア計画に見られるように戦後まで広く影響を与えた。
31年「サボイ邸」、55年「ロンシャンの協会」、50年着手のインドのパンジャブ州新首都シャンディガール計画と、アカデミズムとの戦いをこえて、夢への実現を果たした。東京の「国立西洋美術館」(59年)も、コルビジェの設計によるもの。65年9月25日南仏カプ・マリタンで水泳中、地中海に消える。