デザイナーズ家具&インテリア
イサム・ノグチ
Isamu Noguchi
1904年。ロサンゼルス生まれ。コロンビア大学に入学し、医師を志すかたわらレオナルド・ダ・ビンチ美術学校で彫刻を学ぶ。
奨学金を授与されると、パリへ渡り留学生活を送る。その後、北京、日本と渡る。
1947年にハーマンミラーのデザインディレクターであったジョージ・ネルソン
に請われ「ノグチ・テーブル
」を発表。
世界を代表する偉大な日系アメリカ人彫刻家。 2004年に生誕100周年を迎え、これを期にヴィトラ・デザイン・ミュージアムが販売権利を獲得。魅力的な作品が続々と復刻され話題となっている。
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イサム・ノグチの詳細
イサム・ノグチは、生まれたときからすでに苦難を背負っていた。1904年11月17日、アメリカのロサンゼルスで、レオニー・ギルモアの私生児として生まれたとき、アメリカで詩人として名を馳せた父・野口米次郎は、すでに日本に帰国していた。
イサムが2歳で母と来日するまで顔を見ることもなかった。親子3人での暮らしも長くは続かず、結局は母子家庭となり、必死に働く母の姿をみて育つ。
しかし母が建てた茅ヶ崎の家での生活は、イサムの芸術家としての土壌をつくった。
13才で単身渡米し、母の姓イサム・ギルモアと名乗り入学したが、経営上の理由から学校は1ヶ月で閉鎖。身寄りのない土地に突然一人ぼっちで放り出されてしまう。
しかし、1ヶ月間の学校生活でイサムは木彫りの天才少年と呼ばれていた。そんなイサムを援助してくれたエドワード.A.ラムリー氏のおかげで無事高校を卒業。
コロンビア大学で医者を目指すが、母の薦めで美術学校にも通うこととなる。そこで「ミケランジェロの再来」と賞され、入学3ヶ月目には個展を開いたイサムは、彫刻家として生きることを決意。このときから「イサム・ノグチ」を名乗っていく。
その後、イサムはグッゲンハイム奨学金を得てパリへ留学する。巨匠コンスタンティン・ブランクーシの助手をしながら抽象彫刻を学んだ。
戦後の日本で、禅の庭や伝統技術に触れたイサムは、作品によりいっそう東洋的な匂いを漂わせるようになる。
ニューヨークで、日本の女優・山口淑子(李香蘭)と恋に落ち、1951年に結婚。鎌倉の北大路魯山人の敷地内にアトリエと住まいを構え、陶芸制作にも励んでいる。またこの頃に、光の彫刻「あかり(AKARI)」を生み出している。
1958年に離婚後、イサムはニューヨークを拠点に意欲的に活動する。彫刻よりも大きなスケールの庭園制作、空間の彫刻に熱心になる。ユネスコ本部やニューヨークの銀行などの庭園も手がけた。
晩年イサムはニューヨークと日本を行き来する生活を送る。日本では、庵治石の産地・香川県牟礼町に住まいを構え、和泉正敏をパートナーに、イサムは数々の彫刻を制作した。ここでの作品は「彫刻に自然を取り入れた」といわれ、傑作と呼ばれるものも多い。
1986年には、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表に選ばれる。80歳になってようやく“アメリカ人の偉大な芸術家”として認められたイサム。
同年日本で京都賞受賞。翌年アメリカ国民芸術勲章を受賞する。
そんなイサムに札幌市から「モエレ沼公園」ランドスケープデザインの依頼が舞い込む。夢の公園のマスタープランが完成したのは1988年。
プラン完成と84歳の誕生日を祝った直後の12月30日、イサム・ノグチはニューヨークで静かに逝去した。84歳であった。